東京迷宮(トウキョウ・ラビリンス)
浅草界隈
浅草、ヒトハソレヲ迷宮(ラビリンス)<g云フ
今をさかのぼること、70年ほど前、
大正末期から昭和のはじめ、
東京が帝都≠ニ呼ばれていた時代がありました。
時代の激しい移り変わり、人口の爆発的増加
刻一刻と変貌してゆく、帝都の姿は、
どこか世紀末の現代と似ている気がします。
そんな東京の古き良き時代の帝都≠フ面影を
当時の一大繁華街
浅草で探してみたいと思っています。
街全体が迷路のような街、浅草。
路地の迷路、時代の迷路、時間の迷路
さて、どんなものが目の前に現われるでしょうか。
この迷路に迷い込んでみることにします。
見てるだけで圧倒される「雷門」
浅草寺の総門。右に風神、左に雷神。
この門をくぐれば、
浅草という魔界の入口。
浅草寺は浅草観音とも呼ばれ、
東京都内で最古のお寺。
1300年の歴史を誇る浅草の中心的な存在。
浅草は、神様、仏様、観音様など
いろんな神様が同居している街。
このなんでもありの寛容さこそ、浅草が愛される秘訣。
浅草寺(浅草観音堂)の正式名称は、
「金龍山浅草寺」
浅草の守り神は龍だったのです。
そう言われてみれば、
浅草はドラゴン・ランド
いたるところに龍の気配。
浅草観音堂の天井にも龍の姿が‥
浅草寺のとなりにある「五重塔」
もう後戻りはできません。
この浅草の不思議な世界に
足を踏み入れているからには。
浅草公園の敷地の中にある
「浅草観音温泉」
建物にはツタがからまっていて、
ちょっと古めかしい謎めいた雰囲気。
浅草公園から、六区にぬける「五重塔通り」
自分がいまどんな時代にいるのかわからない
そんな「タイムスリップ」感が魅力。
前方から、浅草モボと思しき人の影が‥‥
浅草木馬館
かつての面影を色濃く残す木馬館は、
今でも大衆演芸や浪曲専門の寄席が見られます。
その名前は、当時メリーゴーラウンドがあったことに由来しています。
ジンタ楽隊という小楽団が回転に合わせて演奏します。
なんともレトロでノスタルジックな時代
木馬館の向かいにある食堂。
なんだか昔の活動写真のセットのような感じ。
今にも中からエノケンか誰かが出てきそうだ。
この浅草の街もかつては、東京一にぎわう一大繁華街だった。
人、人、人であふれる浅草は、大群集が放つ
それはそれは異様なエネルギーに満ちていた。
「初音小路」
かつての浅草には、今はなきひょうたん池≠
そして元祖浅草のランドマーク浅草十二階(凌雲閣)≠ネどがありました。
浅草十二階は、日本初のエレベーター付きの展望台でした。
今でも、ふと目を閉じてみると、今はなき遠い時代の面影が、
浅草という魔界にそびえたつ浅草十二階の姿が、
うかんで来るような気がします。
「花やしき通り」
奥深く、いくつもの路地に迷い込む。
戦後の混乱期や闇市を思い出させるお店。
小道具・祭礼用品・軍払い下げ衣料・時計
ラジカセ・ネックレス・総合貸衣装・高価買入・販売卸
なんとも、マニアックでカルトな怪しすぎる雰囲気。
浅草名物「花やしき」
150年に作られました。
民家をかすめて走るジェットコースターが有名。
浅草のおもちゃ箱的存在。
メリーゴーラウンド前を闊歩する
少年探偵団たち。
「ひさご通り」
かなり怪しげな雰囲気の商店街。
今はウインズに来る人でにぎわう。
「米久本店」
ひさご通りにある下町風情あふれる牛鍋屋。
創業明治5年の浅草の老舗。
ということは東京の老舗ということだ。
明治や大正時代の文豪も足しげくここに通った。
「吾妻橋」
東京を代表する隅田川。
吾妻橋は、浅草と向島をつなぐ橋です。
浅草という魔界へのタイムトンネル。
「吾妻橋」の夕暮れ
人恋しくなるような夕暮れは、何時の時代も同じ。
「吾妻橋」から隅田川を眺める
時代がかわっても、かわらない風景のひとつ。
川は優しくすべてをつつみこんで流れていく。
浅草老舗の「神谷バー」
1880年(明治13年)創業。
この店を語らずして浅草は語れない。
東京モボあるいは、モガを気どって今夜も一杯‥
「」カ
「染太郎」浅草老舗のお好み焼き屋。
下町の情緒ある店構えで、中には数多くの有名人が書いた
色紙が壁にはびっしり貼られていた。
文豪や浅草出身の芸人、俳優‥‥
ふと目についた色紙は、江戸川乱歩の手書きの言葉‥‥
「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」
この言葉の意味を知っていますか?
いま見てきたものはすべて夢‥という意味です。
Fin
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